じゃんばらや

なんとなく、ゲーム開発者のつぶやき

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デビルマン

映画の奴ね。実写の奴ね。「そんなもんあったのか!」と驚く人もいるかもしれないが、あったのである。
これが当に世紀のクソ映画であった。そして私などは、ダメだとわかっていながらも、当時劇場へ足を運んだのである。

その映画館は、凄まじくガラガラであった。
そしてこの映画の一番の”メイセリフ”である「ほぁぁぁぁ!」のところでは、いたるところで苦笑が起きていた。デビルマンで。笑い声て。

公開の2004年当時において、その評価については阿鼻叫喚の嵐であった。
まあ、このあたりを読んで頂ければ、どれほど悲惨なものであるかは理解してもらえるだろう。

確かに、ダメな映画とは何かを定義するのは難しい。よい映画も同じように難しい。結局は主観であるからだ。しかし、これだけは言える。このデビルマンという映画を、自信をもって「素晴らしい」と褒め称える事の出来る人間などいない。絶対にいない。そうしてこの映画は完全に歴史の闇へと葬られ、今となっては語る人もおらず、たまに思い出されては苦笑されるというなんとも寂しい作品と成り果てたのである。

さて。

コンテンツ産業に関わっていない人々に、この映画を薦める事はまるで犯罪である。ダメ、絶対。
しかし、コンテンツ産業に関わっている人々には、この映画を薦めなくてはならないだろう。必見である。
レンタル屋には必ず1本は並んでいるだろうし、誰も借りていない事は間違いないので、いつでも好きな時に見られるだろう。

いかにしてこの映画は失敗したのか、どういう組み立てを行えば、こういうものが組みあがるのか、すべてを考えてゆく必要がある。
ひとつの失敗だけでは、こういうものにはならない。たくさんの判断ミスが複合的に合わさって、とんでもない化け物が生まれてくる。

そうした生まれた化け物を見るべきである。


テーマ:映画 - ジャンル:映画

ミドルの導入とかさ、日本では難しいよね

当初の方針であったコンテンツ紹介記事も書かないままに、業界系の話をかいてしまうわけだけれども。

日米ゲーム開発の差はスクリプトの所為なんかじゃぁないよ。

参照記事
「スクリプト」で差がついた日米ゲーム開発の生産性 GDCを読む(2)

私もポジショントークにしかなりませんが。

日米という、か欧米と日本の開発がまるで違うところは「コスト意識の差」だというのが、私の考えです。
それを原因として様々なところに違いが出てきていて、ひとつの現象がレベルデザイナーであったりスクリプトであったりすると思っています。

おもろいもんを作るためには、コストを下げるためにコストを支払う必要があるかもしれないし、関係ないかもしれないという話です。


■日本の既存産業がやっていて、ゲーム産業がやっていないこと。

世界を席巻した日本産業が追い求めたもののひとつに、トヨタのカイゼンを筆頭とするコストダウンというものがあります。
それが現在の経済においていろいろと問題になっているとは思います。しかし、前トヨタ工法であるフォードのやり方や、フォード以前のハンドメイド方式のまま日本の自動車産業が動いていたとしたら、まさに「それ以前」の段階で滅びていたはずです。あらゆる産業において、その産業が生き残るためには、コストダウンの方法を探る事は非常に重要なのです。

日本において、戦後あたりには存在していた既存産業においては、労働基準法というものが厳密に適用されてきました。そのため人的コストを大量に投入するやり方は、基本的には忌避すべき方法という事になります。工程において作業時間を減少させる事はそのままコストダウンにつながります。その結果は、利益や競争力となってその企業の価値を高める事になります。一方で長時間の作業を決定した段階で、利益が薄れてゆくか、競争力を失ってゆく事になるでしょう。

一方で、ゲームの様な新しく生まれた付加価値の産業においては、裁量労働制という名のもとにおいて、残業代が支払われません。この制度の全体的な是非については別議論として、コストダウンへの努力という意味で考えると、非常によろしくない制度であるという事が出来ます。この制度においては、作業時間が何時間であろうと、それが直接的に利益や競争力につながる事がありません。つまり、作業時間を短くする事が、産業として必要条件として定義されないのです。

もちろん各現場においては努力はしているでしょう。しかし、経営にとっては、溢れた仕事を人海戦術(労働時間)によって力技で押し切っても、金銭的ダメージはほとんどありません。つまりゲーム産業というビジネスにおいて、「労働時間短縮のためにコストを支払う」事に、直接的な目的が無くなってしまうのです(もちろん納期等の間接的な目的には寄与しますが)。


このような原因から、日本のゲーム産業はコストダウン=労働時間短縮に対してまるで貪欲ではなくなっています。
ここが既存産業とゲーム産業の大きな違いになってきます。


■欧米において、残業はよくない事と思われている。

契約にうるさい欧米において、溢れた仕事を無給でこなすと言う感覚はまるでありません。それ以前に、仕事が溢れた段階で、工程設計者たる人物がなんらかの形で責任を取る事になるでしょう。もちろん計画段階でバッファはもっていますが、それは致し方ない問題が発生した場合に使われます。そのために工程設計者から3日で割り振られた仕事を3日で片付けられない人間は、無能であると判断されます(そのために、隠れ残業が発生すると言う現実もあります)。

こうした土壌においては「いかに与えられた時間で与えられた目的を達成するのか」という感覚が生まれてきます。これが労働時間短縮へのモチベーションとなります。
そうなると各セクションの目的達成のために、優秀なミドルウェアが求められ、より洗練されたスクリプトが生まれ、レベルデザイナーという職業を定義するという事が起きてくるわけです。


■クオリティアップのためにどういう努力をするのか

まとめてみると、日本の場合、クオリティアップには、開発メンバーの労働時間がノーコストで使われます。
欧米の場合は、クオリティアップのためのコストは決まっていますので、いかに安くクオリティアップをする方法を考えます。

その結果が今こうして見えているという事です。
このあたりは島国氏の過去のエントリ日本のゲームは世界一に通じる部分があるのですが、まあ、このへんで。


■結論として、あんまりは浸透しないと思うけど。

GDCにおいて、スクリプトの導入をいろいろと模索している様子ですが、果たして経営者レベルの人間をどれだけ巻き込めるかが問題になるんじゃないでしょうか。
「ウン十万のミドルを買うよりも、産業させたほうが儲かる」という状況が駆逐されない限り、他社製ミドルの導入はあり得ないでしょう。
まあ、実際になんらかのスクリプトシステムは、島国氏の言われるようにどの会社にもあるわけですし、それを使ってナントカしてしまおうという力が働くと思います。
そういう意味では、新氏の考えている事を理解しながらも、やはり現場で働いていらっしゃる島国氏の解決方法の方がずっと現実的だと思います。

そんな中で、CRI社が扱っているような「ほかの会社では絶滅しつつある低級階層を扱うテクノロジ」を売り込んでゆくようなスタイルはすばらしいモデルだと思ってます。
また、猿楽庁の様な「レベルデザイン専門」という企業が生まれていることも、なかなか面白いところです。取引したことはありませんので、詳しくはわからないのですが。


■最後に

プログラムがまるでわからないプランナーがファックでサックでクソな事については間違いありません。
最近のスクリプトは、インスタンスをコンストラクトして内部に条件かいてー、とか平気で言ったりするので、まるで素養の無い人間が扱うにはしんどいです。マジでしんどい人がいます。
ただ、そんな人のためにスクリプトシステムが低機能になるのは「使えない人がいるのでMayaではなく六角大王でモデリングをしよう!」と言っている事に等しいわけですから・・・

テーマ:ゲーム製作 関連 - ジャンル:ゲーム

このブログの方向性

自分の知る楽しいコンテンツについて、ダラダラと紹介をしてゆきたい。
そのために、アマゾンのアフェリエイトなど導入してみた。

ただ紹介するコンテンツは基本的に古いものなので、アマゾンで買うよりもそこらの中古販売で購入したほうが圧倒的にお得である。

とりあえず使ってみたかっただけなのだ。そのあたり。よろすく。

むー。

2009年の年が明けてから、馴染みの飲み屋へと新年の挨拶も兼ねて出かけた時の事である。

もう付き合いが10年にもなろうかというママさんの、もう4年5年も経とうとしているその店には、私と同じ目的を持った人々であふれかえっていた。そのため、私には座る席が無く、追い出されてしまった。そうしたタイミングに、この店のママであるところの真子さんの、後輩だか友人だかよくわからない関係である理香やんがあらわれたのである。もちろん彼女にも座る席は無い。二人そろって店を追い出されたわけであるので、席が空くまでという感じで、そこらへんの居酒屋で時間を過ごす事になった。

理香やんは、髪をところどころ目が覚めるほど鮮やかな赤色で染め上げていて、ずいぶんと活気のある姿であった。もちろんこれは新年だからという理由ではなく、年がら年中そうである。もう彼女ともずいぶん長い付き合いであるので、それが単なる若作りであることは、私は知っている。いい加減に、いろいろな意味で、そろそろ落ち着いても良い頃でもあろうのに。果たして会社で何か言われはいないのだろうかと、心配になることがしばしばある。
新年の挨拶もそこそこに、全体を白髪にしたうえでその赤染めのところを黒色にすれば牛になって今年っぽいトレンドになるだろうなどと茶化してやるかと考えながら、まずはという事でビールなどを注文してみた。そして、一応ながらの乾杯の後に、これから行くべき店に席が出来るまでの、とりとめの無い会話に終始していたわけであるが。

この娘と言うか女性と言うか、つまるところ理香やんというのは、まるで勢いだけで生きているようなところがあって、基本的にはあっという間に出来上がってしまう。そしていつもの様に、まるで濁流の様に流れるその話を掻い摘んで話をまとめてみると、新年早々何やら会社で嫌な事があったらしく、今日ぐらい飲んでもいいじゃない!という事らしい。結局その話は、彼女が去年からまるで変わっていない事が証明されただけであった。ただひとつ去年と違ったのは、その話の矛先がだんだんと私に向かってきた事であった。

「だからさ、はなもげらさんの話はさ、マニアックすぎるんよ」
「それはまさに褒め言葉だな。マニアックであることこそ、我が人生とでも言える。そういうマニアックというか、詳しいところをだな、次々と・・・」
「いやさ。そういう話は、ちょっとでいいのよ。ほんのちょっとで。それを期待してきいてるわけ。それを嬉々として10倍も20倍も膨らまして話されると、面白いときもあるけど、ほとんどの場合困るわけよ」

痛恨であった。打ちひしがれた。擬音を使うとするならば、まさに「よ、よよよ」というレベルに達する事態であった。

幼少の頃より「にんげんひゃっかじてん」「あるくとしょかん」と評され、全怪人怪獣大百科を読んでは、見た事もないグリーンマンに登場するドリリングという怪獣について語り、ウルトラ怪獣大百科を諳んじては「おとり」の意味さえ輪からずに「おとり怪獣ブルーマ」について呟くという世界にあった私にとって、関連する知識と言うのは非常に重要なものであり、そうして広がりゆく世界を共有する事については、アクエリオンのそれを超える悦びであるのだ。もちろん現在において怪獣についてなどは、ツインテールがエビの味がすると言う程度の事しか覚えていないし、比喩的表現に使ったTVアニメのアクエリオンなど、ぱちんこのTVCMを知っているくらいで、見た事もない。

それからの理香やんの猛攻は凄まじかった。アルファベットを使って表現するなら「すさまG」という感じであった。まるで私へのダメだしをするためにこの世に生きてきたかのような闊達ぶりで、新年早々下を向きっぱなしの悲しい酒となっていった。もしこのタイミングで、真子さんから電話がなければ、私はどこか遠い国へと旅立っていたに違いない。当時の状況、新宿からの予算的に考えて、横浜にあるこどもの国へと亡命していた可能性が高いと考えられる。

結局のところ、席が出来ましたよ、朝まで大丈夫ですよ、という電話に助けられて、我々は、真子さんの店へと向かった。店にはやさしい大人たちがたむろしており、これまでのひどい酒席と吹きすさぶ寒風から開放されて、身も心も暖まったのは言うまでもない。理香やんが真子さんと話を始めたのを良い事に、私はあいさつもそこそこに、私はボックスのソファーへすわり、ひとまわりも年上の、ロック中年のもっさんのひたいをぴしゃりとやり、もっさんは私のひげをぐいっとひっぱって、ふたりそろってわらいころげたり、この店の常連同士で結婚し、そのパーティーでは私が厳選した「演技のいい手品」をご披露させていただいた篠本夫婦に、親戚の子供のフリをしてお年玉をねだったり、フリーデザイナーのカトーさんに年末商戦のオススメゲームを聞かれたのでゲームマエストロとして正しい商品をおすすめしたり、かつてはフォーク青年だったぶっさんが、カラオケ+ギターでとろとろを熱唱するのを聞いたりして、やっと新年の楽しい感じを享受するに至った。しかし、この幸せも続かなかった。絶望とはまるで打寄せる波の如く、次々と迫りくるものであるのだ。

そういう楽しい雰囲気の中で、順番に回ってきたカラオケにおいて、私に数々のトラウマを植え付けた教師が左寄だったために、反体制が主流であるが故に現状は保守こそがパンクであると言わざるを得なくなった私が青年期に聞き倒したメロコアなどを選択してみようと思い、毎度のことながらGreenDayを候補としてとりあげ、果たしてAmerican Idiotにしようかととも思ったのだが、結局のところいつものBasket Caceを歌う事になった時である。またしても理香やんがあらわれて、私に難癖をつけるのだ。

こうして延々とマニアックである事を否定され続けて朝を迎えた。新年早々こんなに苦しい思いをするなら、マニアでなければよかったと思った。しかしマニアックでなければ私は生きてゆけないだろう。

導かれた結論は、マニアックで許される環境で生きる事だった。そのためのこのブログを作ってみたわけだ。

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